- 選択的=同姓も別姓も選べる前提なので賛成。
- ぼくは自分の姓に思い入れは無いが、姓が変わることによる手続きが面倒。結婚相手が自分の姓に思い入れがある場合、名字を変更する気がある。
- 選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願 というものがあったので見解を書いておく。
(一)夫婦同姓制度は、夫婦でありながら妻が夫の氏を名乗れない別姓制度よりも、より絆(きずな)の深い一体感ある夫婦関係、家族関係を築くことのできる制度である。
選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願 より
「同姓制度の方が絆が深く一体感ある夫婦関係、家族関係を築くことができる」ことの論拠が無い。いずれにせよ、同姓にすることで一体感を感じたい夫婦や家族は、同姓を選択すれば良い。
日本では、夫婦同姓は、普通のこととして、何も疑問を覚えるようなことはなく、何の不都合も感じない家族制度である。婚姻に際し氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓使用することが一般化しており、婚姻に際し氏を変更しても、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。
選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願 より
名字が変わることにより、役所、金融期間等で事務処理が必要となり時間が取られるので不都合な人がいる。また、ぼくには関係無いが、論文の著者名の連続性が失われる、パスポートに旧姓表記することで海外で不正なパスポートと疑われるなどのこともあるそうなので、「何の問題も生じない」という理解が誤っている。
また、氏を変えることにより自己喪失感を覚えるというような意見もあるが、それよりも結婚に際し同じ姓となり、新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数である。現在の日本において、選択的夫婦別姓制度を導入しなければならない合理的理由は何もない。
選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願 より
利害関係者が少数でも不都合があるならば、解消すべきだということは合理的な理由に値する。特に多数派の権利を侵害するものでないならば反対する合理的な理由が無い。
(二)選択的だから別姓にしたい少数者の意思を尊重するために選択的夫婦別姓制度を導入してもいいのではないかという意見があるが、この制度を導入することは、一般大衆が持つ氏や婚姻に関する習慣、社会制度自体を危うくする。
選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願 より
そもそも時代の変化に応じて、一般大衆が持つ習慣は変わっていくし、社会制度は変えていくべきもの。
- 習慣が変わる例「電車内で新聞を読む人が減り、スマホを見る人が増えた」
- 社会制度を変えるべき例「無線通信が規格化された今でも、技適マークの無いスマホを使うと電波法違反になる現状」
別姓を望む者は、家族や親族という共同体を尊重することよりも個人の嗜好(しこう)や都合を優先する思想を持っているので、この制度を導入することにより、このような個人主義的な思想を持つ者を社会や政府が公認したようなことになる。
選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願 より
今の御時世珍しい全体主義思想と言うもの。合理的な理由なく個人の権利が制限されることには反対。
現在、家族や地域社会などの共同体の機能が損なわれ、けじめのないいい加減な結婚・離婚が増え、離婚率が上昇し、それを原因として、悲しい思いをする子供たちが増えている。選択的夫婦別姓制度の導入により、共同体意識よりも個人的な都合を尊重する流れを社会に生み出し、一般大衆にとって、結果としてこのような社会の風潮を助長する働きをする。
選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願 より
離婚率を下げたいのであれば、結婚している人に「税制上のメリットを与える」等やり方はある。そもそも、過去の女性の賃金や再就職を考えると過去の女性は離婚すると生きていくのが大変な状況であったと言う意味で、離婚率の上昇=悪と言い切れない側面もある。
また、ぼく自身、両親が「夫婦同姓」で「離婚」したパターンである。「離婚したから悲しい思いをする」のではなく、「離婚していようがしていまいが、両親が離婚する程の問題を抱えている」ことが悲しい思いの原因である。これもまた理解が誤っている。
(三)家庭の機能として、次代を担う子供たちを育てるというものがあるが、選択的夫婦別姓制度導入論者は、夫婦の都合は述べるが、子供の都合については何も考慮に入れていない。
選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願 より
子供がどちらの姓を名乗るか、は婚姻時もしくは出生時に届ける等ルール整備が必要。
一体感を持つ強い絆のある家庭に、健全な心を持つ子供が育つものであり、家族がバラバラの姓であることは、家族の一体感を失う。子供の心の健全な成長のことを考えたとき、夫婦・家族が一体感を持つ同一の姓であることがいいということは言うまでもない。
選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願 より
繰り返しになるが、同姓であることで一体感が生まれるかは論拠がない。子供の心の健全な成長はあって然るべきだが、それが夫婦同姓によってもたらされるほど、夫婦同姓の影響があるとは思えない。←これも論拠はないが、個人の経験として両親の離婚を経験し、同姓だったことによって生まれた一体感などは無かったという実体験に基づく。
